名称検討中日記。 別館2

はてダで運用中の名称検討中日記。の別館2。 見たまんま。趣味事について記載するかも。

素晴らしき日々 〜不連続存在〜

とりあえずクリアしました。ネタバレあります。あんまり見ないほうがいいかも。長文乙。
ちなみにゲームやってない人が見ても俺の思想とかよみとれるかもしれません。それはそれはおすすめかも。
この物臭最低人間の思想を知りたいと思う人が何人居るのやら・・・
「幸福に生きよ!」とのことです。

  • 世界の限界

生きてるだけで、幸福たり得るのだろうか。そりゃ今すぐ「死にたくない」って思ってる人からみりゃ幸福なんでしょうね。
でもそういうのって結局認識の違いから生まれる価値観の違いなんじゃないかなぁって。価値観の相違、便利な言葉ですよね。
内なる世界、外なる世界、世界の限界と色々出てきましたが、世界の限界って、自分の価値観が通用する限界なんじゃないかと思います。
俺にとって、壁にぶち当たったら(コンクリとかの)痛い思いをするだけだけど、もっと小さいスケールで見たらトンネル効果みたいな現象も存在する。(厳密に壁、という訳では無いですが・・・)
一応、知識として学んでいれば限界は広がるような気もするけど、それは知識としてで、実際にコンクリにぶつかって通り抜けたらそこは違う世界なんだろうなぁ・・・。
限界って言葉も曖昧で、ソコは自分の価値観が通用するんだろうかってのも問題になってくる気もします。世界の限界に近くなったらコンクリに半分からだがのめり込むとか嫌すぎますよね。
そこが限界で、そこを超えたら全く別の価値観。ってことが多々ある気もします。もし、世界=価値観だとしたら世界の共有、世界の押し付け合いとか面白いですね。

んじゃ「素晴らしき日々」ってなんなんだろか。その名の通りだろ、とか思うんですけどね。
実は、自分は結構死ぬの怖いですよ。布団の中で死んだ後の事想像してみたりとか以前は大変なことになった覚えもあります。いわゆる病院沙汰、ゴートゥーホスピタル。
でも、あるとき気付いたのはそれは全くの無意味だってこと、死んだことないし、それ以前に。いつかその日が来る「前に」 という考えが多くなりました。
んじゃその前に、なにすりゃいいの?って考えたとき。やっぱり、「素晴らしき日々」を送る。ってのが第一に来るんだろうね。
その素晴らしき日々ってのは人によって違う日々で、人によっては「薬でラリってたのしく屋上から空に」のも素晴らしき日々、というか最後な訳で。
もちろん日々ってだけあってその日その日で素晴らしいことは異なってて、「今日は弓をひいていっぱい当たって良かった」とか「今日は引きこもって一日中エロゲやってた」とかなるわけで
不定なものなんだなーって思いました。「薬でラリってたのしく屋上から空に」とか楽しそうだなーとか思いましたもん。やるかどうかは判りませんがね。
どうであれこの世に生を受けて過ごしている日常が素晴らしき日々なのかなぁ。
お世辞にも長い間生きてきたってわけでもないし、その分学を積んだ訳でもないし、ましてや哲学や心理学の類は嗜む程度の私ですが、それなりの判断でいうとやっぱり日常なんだろなってことで。

ゲームとはたぶん関係ないですが、死ぬ前によく走馬燈を見るとか言う話ありますよね。あれすごくずるいと思う。
走馬燈って生まれてから死ぬまでの記憶の追体験らしいじゃないですか、それは絶対に嘘だね。
だいたい、なんで大きいイベントだけにょこにょこと走馬燈になるのかが意味不明、追体験なら追体験らしく、
「今日の昼ご飯はベーグルと冷凍してたシチューを解凍して食べつつネットをみて、夕飯の事を考えつつ肉じゃがってどうやってつくるんだろうなー」諸々
の細かい記憶まで再生していただきたいね。だから、人生において大きいイベントだけが意味のある記憶や日々では無いんだろうと思うよ。


んではまぁ最後に、
「世界の出来事を私の意志によって左右するのは不可能であり、私は完全に無力である。私は私への影響をもっぱら断念することによって、自分を世界から独立させることができ、したがって世界をある意味で支配しうるのである。」
だそうですよ。

でわでわ。